来年には古希を迎える、シニア営業マンの佐藤と申します。
人は誰しも、幾つかの顔を持って生きています。それはさながら中世欧州の「仮面舞踏会」の様です。例えば私は、新潟の田舎に実家を持つ父と母の長男として生を受けました。その為横浜に住む今も、「新潟県人」としての仮面を被る事が有ります。また父は旧安田火災職員の転勤族でしたので、幼稚園から中学まで二つずつの「転校生」でした。
この「転校生」の仮面はその後私の人生を考える上で、とても大きな影響を与えた様に思われます。子供の頃から「転勤・転校」を楽しんでしたところも有り、自分も将来は転勤の有る仕事に就きたいと思いながら、大学卒業後に就いた職場は都内の某信用組合で、転勤は有っても都内だけ。。。
父が退職後に引き継いだ「保険代理店」の仕事を将来手伝うため、30歳の誕生日の翌日から「安田火災・研修生」として保険マンの仮面を被っています。
何とか2年の研修期間を経て「保険代理店」の仮面に替えてからは、いよいよ遠隔地の転勤は無くなりましたが、それでも「自分で立ち上げた代理店から父の代理店」そして「現在のITS」と、三つの代理店の仮面を付け替えて参りました。
そんな私にとって「保険代理店」の仮面は最も重要で大きなものですが、それ以外にも幾つか他の仮面を持っています。誰しも家に帰れば「夫(妻)の仮面」「父(母)の仮面」は、お持ちでしょう。
それ以外に私が被る仮面の一つが「アマチュア声楽家」の仮面です。子供の頃から歌が好きで、小学校のバス旅行では回ってくるマイクを密かに楽しみにしていました。
小学生時代の歌謡曲から中学生時代にビートルズ・PPMを知り、高校時代はクラシックに目覚めました。高校1年の音楽の先生に肩を叩かれて合唱を始め、昼休みは音楽室に籠ってレコードを聴きあさりました。
大学に進んでからも「音楽部・政治学科」の生活で、4年では足らず5年間通いました。音楽部の中にはオーケストラと合唱団が有り、合唱団の中には混声合唱団・男声合唱団・女声合唱団(大学・短大)が有りました。ここでの合唱経験が、その後の私の人生を決めたと言っても過言ではない気がします。
1年生の時から団のヴォイストレーナーの先生に個人レッスンを受け、40過ぎて結婚するまで続けていました。お陰様で幾つかの団でソロを謳わせて頂き、OB男声合唱団の中でカルテットを立ち上げる時には、先輩方からバリトンは佐藤にとご指名頂くようになりました。このカルテットでは色々なお座敷に声を掛けて頂き、楽しませて頂きました。「継続は力なり」を実感しています。
また15年ほど前から、地元の「町内会役員」の仮面も被る様になりました。「スポーツ推進委員」を10年間務めさせて頂き、今年四月からは「保健活動推進員」を拝命する事となりました。一字違いですがやはり「ホケン」が付いて回るようです。